シリコンバレーに居る友達のKenneth君がblogにこの話題を取り上げていた。QuoraにもPostされたようなので少し自分なりに考えてみる。
※実際に装丁をされた方を中傷する意図はありません。
※正確に伝えたいので、日本語で記述します。ごめんKenneth君。
・日本の市場の特殊性
日本の書籍市場では、出版の量と書店の量の多さ、そして紙の価格の安さも相まって書籍のカバーが書店内での広告とほぼ同じ機能を課せられてしまっています。(そのために「帯」という機能も存在します。)これは日本特有のユーザへの啓蒙/教育の足りなさにも影響しているのかもしれません。
勝手な考えですが、日本には「自主規制」という90年代初頭の負の遺産があり、たとえばUS版カバーのスティーブの写真…指が切れてしまっている、というのは「指を欠損された方への配慮が足りない」という様な抗議が来る恐れがあるためNGである、という冗談みたいな認識が本当にあったのです…これ、個人的には勘ぐらざるを得ないのです。日本語版は指5本になっています。わざわざトリミングを(原著のデザイナーの意思を無視して)弄る意図が他にあるとして、なんだったのでしょう。帯に煽り文を入れたい都合で、相対的にスティーブの顔を上方向に寄せたかったからでしょうか?
・コンテクストの不理解
日本には80年代から熱心なユーザー・グループ・コミュニティがAppleのカルチャーをこの島国に根付かせてきてくれましたが、マスにAppleの製品が到来したのはiMac以降ではなくiPhone以降と思って差し支えないと思います。USでは凄まじいカリスマとアメリカの開拓精神の体現者でもあった彼の文脈を知る人の絶対数が少ないのだと予想しています。そしてこれは、「史上稀に見る革命的なビジョナリーの伝記」を「ビジネス書のひとつ」というポジションにまで下げてしまっていると考えています。現にAppleを想起させるMyriadフォントを日本語版カバーでは使用していますが、US版ではHelveticaの様です。本国ではスティーブの顔だけで、十分にアテンションとコンテクストを物語る装置は完成しているのでしょう。
・最後にちょっと言い訳
良いタイポグラフィを扱える、良いデザイナーは沢山居ます。それは優秀な編集者の方、翻訳者の方にも言える事だと思います。現に今回の日本語版、ありえないスピードで出版されている訳です。そこにはあらゆる方の不断の努力が存在します。ですが、僕らデザイナーからも働きかけがまだまだ、足りないのかもしれません。日本特有の現象ですが、優秀な個は沢山存在するのに、優秀なチームが生まれにくいパラドックスが存在します。大きな市場があるのに、階層構造がそもそも存在しないのでリテラシーが育ちにくい現象が存在します。書籍の装丁もウェブも作る人間としては…この現象は出版だけではなく、ウェブサイトやサービス、アプリケーションにも言える事で、コミュニティ全体が解決しなくてはいけない問題の一つと認識しています。
追記:KiyotoさんのBlogで知ったのですが、そもそも元の装丁はスティーブ本人の意図が含まれていたそうです。